なぜ栗城史多はポジティブなのか
栗城史多を多くの指を失った登山家として知ったのはつい最近のこと。
初めはショッキングで可哀想だなと同情的に見ていたが、最近また登山して失敗したというニュースを見て何とも言えない気持ち悪さを感じている。
単純にポジティブなだけではない打算的な何かが鼻につく。
忘れられないうちに一稼ぎなら逆に潔いと思うのだが、自分を必要以上に大きく見せようとしていることがイラッとしてくるのかも知れない。
【栗城史多の名言】
山は厳しいが、僕の一歩踏み出す勇気が、 たくさんの人の一歩になればと思う。
この人の失われた指を見て山を登りたいと思う人はどれだけいるだろうか。
僕を反面教師にして下さいなら、すんなりと納得できたのけれど。
僕はこんなハンデを背負っても頑張っているアピールしたいだけじゃないのかと穿った見方をしてしまう。
ランナーズハイのような恍惚とした表情から繰り出されるポジティブな言葉は自分のハゲた頭に突き刺さってくる。
少しは暗い顔した方が人間味があると思うのだけれど栗城史多には無縁なのだろうか。